復活を待つ人(保存用)

シェフチェンコの生き地獄は続く。

山中忍=文
text by Shinobu Yamanaka
photograph by AFLO

2008年4月11日



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山中 忍
Shinobu Yamanaka
1966年5月29日生まれ。静岡県出身、ロンドン在住。サッカーを堪能できるイングランドの生活にはまり、気付けばヨーロッパでの生活も11年目に突入。サッカー、音楽、映画、恐竜と、専門分野のユーティリティーの高さを武器に、執筆・通訳・翻訳などで幅広く活動。VAN HALENを聴きながら、チェルシーの優勝をひたすら夢見る日々が続いている。


 昨秋からチェルシーを率いているアブラム・グラントは、チーム内で“アベレージ(凡庸な)・グラント”と陰口を叩かれている。“スペシャル”として知られた、前監督のジョゼ・モウリーニョを敬愛していた主力選手たちは、後任者をまったく評価していないようだ。サポーターにも不評を買っていることは、選手交代を機に逆転勝ちを収めた先月のアーセナル戦でさえ、グラントを讃えるチャントが湧き上がらなかった事実からもうかがえる。

 ただし、これらの選手やサポーターよりも落胆しているのは、アンドリー・シェフチェンコかもしれない。もともとグラントは、当初、オーナーが『シェフチェンコ専属コーチ』として招聘を目論んでいた人物だった。モウリーニョの不可解な解任は弊害ばかりが目立ったが、シェフチェンコだけはグラントのもとで完全復活するのではないかと期待されていたのである。

 ところが実際には、シェフチェンコモウリーニョ時代よりも影が薄くなっている。年末に足首を痛め、年明けにアネルカが加入した後は、コンスタントにベンチ入りすることもままならない。世間でのイメージも、クラブの内紛で「起用されない選手」から、実力不足で「起用できない選手」へと変わってしまった感さえある。

 シェフチェンコが最後(4月10日現在)にフルタイム出場を果たしたのは、ひと月ほど前のリザーブ(2軍)戦。他のスター選手たちが、CL決勝トーナメント1回戦で、オリンピアコススタンフォード・ブリッジに迎える2日前のことだった。リザーブの試合会場はブレントフォード(4部)のホームであるグリフィン・パーク。キャプテンの腕章を付けて入場したシェフチェンコを迎えたのは、40000人のサポーターによる大声援ではなく、400人程度の観衆によるまばらな拍手だった。2年前に「CL優勝請負人」として移籍を果たした『7番』は、ネームの入っていない『9番』のユニフォームを身にまとい、CLの舞台とは異次元の空間に立っていた。

 しかもシェフチェンコは、試合に敗れたチームと同様に、全く良いところなく90分間を終えている。「キャプテン、頼むから何とかしてくれ!」と客席最前列の年配ファンが叫ぶ中、シェフチェンコは、リスタートの度に“Play, play(さぁ、いこうぜ)!”と声を出すが、チームも本人も最後までプレーは噛みあわない。3トップの1角として、インサイドにアウトサイドにと、スペースを見つけて動きながら“Floor(足下にくれ)!”とさかんに要求をしてみたものの、後方からのパスのほとんどは頭を目掛けたロングボールだった。1軍首脳陣が見守る中、アカデミーの選手が大半を占めていたチームでもアピールに失敗したシェフチェンコは、「こんなはずじゃない」とでも言うかのように、首を横に振りながらピッチを後にした。

 背後にチャンスメーカーがいたミラン(イタリア)時代とは違い、チェルシーでは、カウンターアタックの際に、ロングボールの受け手としてチャンスメークに徹することが求められる。これは相手DFに競り勝つ高さも速さも持たないシェフチェンコには、明らかに不向きだ。加齢によって全盛期の脚力を失ったとしても、オフ・ザ・ボールでのクレバーな動きやフィニッシュの正確さをもってすれば、イングランドでも結果を残すことはできるはずだった。現にチェルシーでも、90年代後半にルート・フリット監督の下で“セクシー・フットボール”が話題となった際に、ジャンルカ・ビアリのようなベテランが活躍した前例がある。

 だが、現在のチェルシーのスタイルは、“セクシー”の対極に位置する“ダイレクト”に近い。前監督がしぶしぶ着手した4―4―2へのシステム移行を、グラントが推し進めていれば状況も違っていたのだろうが、現監督は自らの保身もあって攻撃的スタイルへの変更を棚上げしている。

 もっとも、当のシェフチェンコは、逆境にもめげずプロとしての姿勢を貫いている。「オーナーのスパイ」と呼ばれても、あるいはミランへのUターンが噂されても、「チェルシーで全力を尽くす」と公言。元陸上選手の指導を仰いで瞬発力の強化にも取り組むなど、愚痴も漏らさず地道な努力を続けている。

 だからこそ余計に、シェフチェンコの姿は観る者の目に痛々しく映る。オリンピアコス戦直後に行なわれたダービー戦(6―1)では、同時にウォームアップを開始した攻撃陣2名が先に投入されると、タッチライン沿いで腰に手を当て、心なしか寂しげな表情で戦況を見つめていた。残り15分程度となった時点でピッチに入るも、ポジションは3トップの背後。終盤にこそ最前線に上ったが、ほとんどプレーに絡めなかった。控え室へと戻るシェフチェンコは、リザーブゲームの時と同じく首を横に振っていた。

 無冠という最悪の事態を避けるべく、チェルシーには国内外で負けられない戦いが続く。明確なポリシーも方向性も示せず、その存在の必要性すら感じられない現監督は、とりあえず、結果重視のスタイルを継続するのだろう。それはシェフチェンコにとっての「生き地獄」が続くことも意味する。4月8日、チェルシーは、ホームでの第2レグでフェネルバフチェを下し(2―0)、CL準決勝進出を決めた。シェフチェンコは、ウォームアップを命じられることもなく、ベンチ最後列に座ったままだった。