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スペインから目指すワールドカップ(1/3)
福田健二インタビュー


2008年02月08日


今季はラス・パルマスでプレーする福田健二【 SOCCER PLANET 】
●●小雪がちらつく埼玉スタジアムの記者席で、ふと、遠くラス・パルマスでプレーしている福田健二のことを思った。
 ワールドカップ(W杯)アジア3次予選、日本は初戦のタイを4−1で破って上々の滑り出しを見せた。この3次予選は、おそらく国内組だけでも十分に勝ち抜けるだろう。だが、最終予選、そして本大会での厳しい戦いを考えたとき、どうしても必要となるのが、強烈なキャラクターとゴールへの嗅覚(きゅうかく)を兼ね備えた、「日本的でない日本人ストライカー」の存在ではないか。規格外の在外日本人ストライカー、高原直泰が「国内組」となった今、海外でコンスタントにゴールを量産しているのは、福田健二を置いてほかにはいない。
 2004年に日本を飛び出して以来、グアラニパラグアイ)、パチューカ、イラプアト(いずれもメキシコ)、カステリョンヌマンシア、UDラス・パルマス(いずれもスペイン)でプレー。昨シーズンまでは、カステリョンを除くすべてのクラブで、1シーズン二けたのゴールを積み重ねてきた。ただ悲しいかな、福田が所属しているのは「セグンダ」と呼ばれる2部クラブ。よって、現地からの映像も情報も乏しいため、わが国における彼の評価は不当に低く扱われているのが実情である。
 だが、時代は少しずつ変わりつつあるようだ。いよいよ南アフリカへのチャレンジが始まる今年、まるで地下水脈がわき出るかのように、ファンの間で「福田健二待望論」が静かに、しかし確実に広がりつつあるように思えてならない。果たして当人は、日本から遠く離れた地で何を思い、そして祖国の代表にどんな感情を抱いているのであろうか●●



■島のクラブ、ラス・パルマスにて
パラグアイ、メキシコ、スペインでプレーしている福田【 photo by 宇都宮徹壱
――日本を離れて、もう丸4年になるわけですが、さすがにもう「ハポン(日本人)、ハポン」と言われることには慣れましたか?

 逆に、日本人であることを忘れることがあって(笑)、忘れないようにしようという気持ちの方が強いですね。(こっちの人間と)一緒にサッカーして、食事して、いろんな話をしていたら、忘れちゃうんです。自分がこういう顔をしているというのを。だから家に帰って、家族と日本語でしゃべって、鏡を見て「おれ、日本人だ」って。環境になじむのはいいんですけど、日本人であることを忘れてはいけないですね。

――今季、所属しているラス・パルマスなんですが、地図で見るとスペインからえらく遠い島で、ほとんどアフリカの近くなんですね。やっぱりスペイン本土とかなり違った環境なんですか?

 建物がスペインぽくなくて、むしろ南米に近いですね。言葉も違いますし、何といっても気候がね。一年中暖かいので、なじむのに手こずりましたし、けがもしました。その前にいたヌマンシアのソリアという街は、国内でも一番寒いところでした。(今の季節は)ラス・パルマスは25度くらいで、ソリアはマイナス3度くらい。ですから、食事や水分の摂取も変わっていきますね。

――ラス・パルマスといえば、バレロンデポルティボ)の出身地でもあるんですね。やはり、ああいうタイプの選手が多いんですか?

 彼はラス・パルマスの伝説ですね。誰もがあこがれる選手です。でも、もともと質の高い選手が生まれやすい土地柄なんです。今年のチームでも、地元出身の21歳のFWがマジョルカと4年契約を結びましたし。本土の選手よりも、もっとラテン気質のプレーをしますね。だから怠けちゃったり、メンタルの弱い選手もいるんですけど、でも確かに技術はありますね。

――島のクラブということで、アウエーは大変じゃないですか?

 飛行機で(スペイン本土まで)行きは3時間、帰りは気流の関係で2時間ちょっと。空港からまた移動がありますから。でもヌマンシアでは全部バス移動でした。10時間、12時間の移動もあるし。どっちがいいかは、その人次第ですよ。僕はどっちでも苦にならないですね。気を付けているのは、ストレッチをしっかりすること。バスにずっと乗っていると腰が固まるので、ホテルに着いたら熱いシャワーを浴びて、ストレッチして、それくらいですかね。



■スペイン2部のレベルと厳しさ
――さて、福田さんは、カステリョンヌマンシア、そしてラス・パルマスとスペイン2部のクラブを渡り歩いてきたわけですが、日本ではなかなか2部のイメージというものが伝わってきません。具体的にどれくらいのレベルなんでしょうか?

 向こうでよく言われるのは、1部の中位から2部は、全部一緒だよって。バルセロナレアル・マドリーとかは別格ですが、トップ5より下なら、どことやっても同じと言われます。

――つまり、UEFAカップ出場クラスとであれば、互角に戦えると?

 それは間違いないですね。

――じゃあ、スコットランドオーストリアあたりと比べると?

 実際やったことはないですけど。でも、スペイン人はみんな言いますね。スペインの2部で出られなくなった選手が、スコットランドギリシャの1部に行くと「あれは金のためだ」って(笑)。
 そういえば、この間トーナメントの大会があって、ローゼンボリノルウェー)、カイザースラウテルン(ドイツ)とやったんですけど、僕らが優勝したんです。

――例えば福田さんが今季、もしポルトガルの1部に移籍していたら(実際にオファーがあった)、トップリーグということで、いきなりメディアの扱いが変わってくるわけです。そのあたりについては、どう思いますか?

 何が「トップ」なのかが分からないですが(笑)。ただ僕は、スペインの2部でプレーしていて、そこで評価されることが大事だと思っていますから。

――今後、日本の若い選手が海外移籍する場合、ヨーロッパの2部のクラブからキャリアをスタートさせるというのは、選択肢のひとつとして、もっと広まってもいいように思えるのですが、いかがでしょう?

 若い選手が海外に行くのであれば、スペインの2部というのは選択肢(のひとつ)だと思うんですよ。ただ2部については(EU以外の)外国人枠が2つしかなくて、入るのがすごく難しいんです。南米、メキシコ、アフリカ、それからアジアですね。そこでの争いになるから、その意味ではスペインの2部でプレーするのも難しい。僕の場合は、本当にツイていたと思います。

<続く>



■日本人選手がスペインで成功しない理由
昨季所属したヌマンシアでは、福田は10得点でチーム得点王になった【 Photo:AFLO 】
――日本人選手のスペインへのチャレンジというのは、それこそ財前(宣之)選手がログロニェスと契約(1996年)して以来、何人もの選手がチャレンジしてきました。最近では大久保(嘉人)選手がマジョルカで1年半頑張っていましたが、やはり完全にフィットしきれずに戻ってきてしまった。どうもスペインという国は、日本人選手にとって鬼門のようにも思えるのですが、一番の原因は何だと思いますか?

 言葉ですね。とにかく(スペイン人は)おしゃべりが大好きなんですよ。バスで10時間移動していると、10時間しゃべりっぱなし(笑)。だから、しゃべれないとつらいですよ。まず移動中もずっとしゃべっていて、練習中もしゃべっていて。だから、もし僕が日本からダイレクトにスペインに行っていたら、相当につらかったと思いますね。僕の場合、パラグアイやメキシコにいる間にスペイン語を学んだけれど、いきなりスペインだったら厳しかったでしょうね。

――言葉というのは、それくらい大事ですか?

 まあ、もちろんサッカーをしに行くわけですけど「おれはサッカーだけやりに来たんだ」という態度だと厳しいと思います。1日でサッカーをする時間って、大体2時間くらい。それ以外の時間は、スペインという国で生活しているわけで、自分ひとりで生活できるわけではない。言葉を覚えること、仲間とうまくやること、そういったことも大事になると思います。

――福田さんは、どれくらいでスペイン語をマスターしたんですか?

 うーん、何をもって「マスターした」というか分からないですけど。サッカーするのに困らないようになるので、大体1年くらい。でも、まだまだですね。細かいニュアンスなんかは「こう表現するんだ」って、学ぶことは今でもありますね。それは日本語にも言えることですが。

――最初にパラグアイに行ったときも、通訳はつかなかったんですか?

 代理人が、「通訳をつけては駄目だ」と(笑)。でも、僕もその方がいいと思いました。語学学校には行っていません。パラグアイの新聞に自分のことが書いてあったので、気になって辞書を引きながら読んだりしていましたね。独学というか、教えてくれる人もいなかったですから。向こうには日本人もいなかったし。でも、それがよかったかもしれないですね。

――つまり必然的に、必死で言葉を覚えるしかない環境だったわけですね。ところで福田さんは、もともと語学の勉強はお好きだったんですか?

 僕、語学は大好きなんです。学校でも、英語の授業が大好きでしたし。

――そういえば福田さんのブログで(アーセナル監督の)ベンゲルさんと再会したときの話が書かれてありましたが、あのときは英語で?

 英語と、あと彼はスペイン語も少しできるので。ちょうど(2006年)チャンピオンズリーグの準決勝でビジャレアルと対戦するということで、いきなりアポなしでホテルに行ったんです。で、「ベンゲルさん」って言ったら「フクダサン!」って(笑)。警備がすごく厳しかったけれど、僕だけ通してくれて。今の僕の状況を話したら「そうか、よかったな。ここはやればやるだけ自分のためになるって。ところで、明日の試合のチケットはあるのか? じゃあ、あげるから」って感じで(笑)。

――いい話ですね(笑)。ベンゲルさんは、福田さんがプロになって最初の監督でしたよね

 名古屋で僕をデビューさせてくれたのが、ベンゲルさんでした。

――そのベンゲルさんも、今ではアーセナルの名将として、世界中のスーパースターと仕事をしているわけじゃないですか。緊張しませんでしたか?

 欧州にいると、逆に近くに感じますね。ほとんど緊張しませんでした。



■オールラウンダーよりもスペシャリスト
福田は、日本人がスペインで成功できない理由として言葉の問題を挙げる【 photo by 宇都宮徹壱
――日本人選手とスペインとの相性について、話を戻しましょう。プレースタイルや環境の違いで、戸惑うことはありましたか?

 まずボールタッチですね。ひとつのトラップにしろ、ひとつのパスにしろ、しっかり強いボールを出せば、しっかりコントロールできる。逆に(パスが)ぼてぼてだと、そのあとのプレーに負担がかかりますから、けっこう繊細な部分で要求されますね。まあ、ボールを持つという部分では、日本人もうまいでしょうけど。ただ、僕も最近は、日本人とプレーしていないので……。

――ピッチの状態については、どうでしょう?

 僕はメキシコからスペインに入ったんですが、メキシコはすごく芝が長くて、ボールの流れも遅かったんです。でもスペインは、すごく芝が短い上に、試合前に水をまくんですね。(ボールの走りを)速くするために。だから本当に速くて、ぜんぜん足につかなかった。コントロールひとつにしても、最初は戸惑いましたね。

――そんな環境の変化にも屈することなく、福田さんは生き残ってきたわけですが、ご自身の一番のアピールポイントは何だと思います?

 ゴールすることですね。ヘディングは負けないですし、あと、日本語で何て言うのかな……一瞬の動き出しというか、一瞬でマークを外す動きというか。スペイン語で「デスマルケ」って言うんですけど。それから、ポストプレー

――確かに、2部とはいえゴール数がすごいですよね。カステリョンでの1シーズンをのぞいて、すべて二けたゴールをたたき出している。これだけ海外で実績を挙げている日本人ストライカーは、ほかにはいないでしょう。それとも、福田さんは本当にスペインが水に合っているということなんでしょうか?

 スペインでは、僕にドリブルなんか求めていないですから。とにかくゴール前にデンと構えて、そこでゴールを狙ってくれと。ヌマンシアでは、前で競り勝ったり、クロスのボールに対してDFの裏をかいたり、といった動きも要求されましたが。でも日本だと、ドリブルもできて、ポストもできて、シュートもうまくて、とにかく全部を求められるんですよね。

――なるほど、オールラウンダーよりも、むしろスペシャリストが求められるんですね。監督からは、いつもどんなことを?

 基本的な役割以外は、ああしろ、こうしろと言わないですね。選手は自分の特長をアピールして、監督は自分が考えているサッカーに合う選手を当てはめる。育てるという感じではないですから、監督の考えに合わないと難しいですね。

<続く>


シドニー五輪に行っていたらダメになっていたかも
途切れたままになっている福田の代表でのキャリア。福田が再び青いユニホームに袖を通す日は来るのだろうか【 photo by 宇都宮徹壱
――福田さんはJリーグでプレーしていたときから海外志向が強かったそうですが、当時は今ほど簡単には海外移籍ができなかった時代ですよね。最近、ジェフ千葉の水野(晃樹)選手が移籍金ゼロでセルティックに移籍しました(※育成費は発生)。「もう少し遅く生まれてきたら、自分も」なんて思うことはありますか?

 それはないですね。僕の場合、そういう(パラグアイやメキシコでプレーした)時期があったから成長できたわけだし、今の僕の糧になっていると思います。回り道とは思わなかったですね。とにかく、選択肢はそれしかなかったわけだし、パラグアイで結果を出さないと次がないとも思っていましたから。
 ここから欧州に行ってやろう、というよりも、ここで何とかしようという気持ちの方が強かったですね。本当に、1日1日を大事に過ごしていく。その積み重ねがあって、それから代理人の協力もあって、メキシコやスペインにつながったんだと思っています。

――それでは、代表についてはどうでしょう。今のところ、福田さんの代表キャリアは、シドニー五輪最終予選で終わっています。五輪の本大会で落選したのは、やはり悔しかったのでは?

 当然の結果です。名古屋のときには、ウェズレイとピクシー(ストイコビッチ)がいて、なかなか試合には出られなかったし。

――もし、シドニーに行っていたらって、考えることは?

 逆にダメになっていたかもしれない。そういうところにいると、てんぐになっていたかもしれないですね。行かなくてよかったと、今は思いますけど。もちろん、今の自分から見ればですけど。

――その後、シドニー五輪に出場した高原(直泰)選手や柳沢(敦)選手は、A代表でも定着するようになります。彼らの活躍を、どう見ていましたか?

 頑張っているなって感じですね。彼らは彼らの道で頑張っているし、僕は彼らに負けないくらい、いい経験をしているし、レベルの高いところでやっているんで。それに、代表に入るかどうかは、ほかの人が決めることだから。

――でも、やっぱり最近の代表の動きは気になるでしょう?

 たまに映像が事務所から送られてくるけど、それより自分のことに集中しているというか……それが正直なところですね。ネットなんかも見ますから、大体のことは分かりますけど。でも、日本がどういうサッカーをしているかまでは分からないですね。FWに関しては、何でもできる、オールマイティーな選手が求められるような傾向を感じます。でも僕の場合「これだ」という武器があって、これまでやってきているので、ちょっと違うのかなとも思いますけど。



■現役時代のゴールはW杯南ア大会
――私が何でこういうことを聞くかというと、最近「福田健二待望論」の静かな広がりを感じるからです。本も出ましたし、今度テレビ番組(※2月10日放送の「情熱大陸毎日放送-TBS系列)もあるみたいですし、そうしたら、さらに反響があると思うんですよね。「最もストライカーらしいストライカー、福田健二を代表に!」というような声が高まってくるのではないかと(笑)

 もちろん代表には入りたいですよ。チャンスがあれば(笑)。

――例えば今オフ、Jクラブからのオファーもあったと聞いています。いったん日本に戻って、そこから代表入りにアピールするという考えはなかったのですか?

 ありましたね。それで結構、迷いました。代理人をはじめ、いろんな人と話しました。

――それでも、ほかのヨーロッパの1部でもなく、Jでもなく、やはりスペイン2部のクラブを選んだ。その決断に、福田さんがプロフットボーラーとして、何を一番大事にしているかが端的に表れていると思います。そこでぜひお聞きしたいのですが、福田さんが考える、現役時代のゴールは、どこに設定しているのでしょうか?

 僕は30歳になったんですけど、32のときに(2010年の)W杯があるんです。僕はまだ成長というか、レベルアップしている段階なので、自分では33〜4くらいまではトップでいられると思っているんですね。ですから32歳で迎えるW杯というのは、自分の中では、日本のために十分力になれる自信はある。ぜひ、そこでやってみたいという想いはありますね。

――南アフリカの大舞台に立つ、福田さんの雄姿を見てみたいのは、決して私だけでないと思います

 海外組の選手って、代表戦があると帰国して、日本語をすぐ思い出すじゃないですか。でも僕の場合、日本人と4年やっていないから、言葉とか出てこないですよね。正月なんかに地元に帰って初蹴りやるときなんかも、とっさに日本語で指示が出せない。いいプレーしたとき、日本語で何て言うんだっけ。「サンキュー」だっけ「オーケー」だっけ(笑)。

――なるほど(笑)。話も尽きませんが、最後の質問です。この4年間、海外でプレーしていく中で、福田さんが一番学んだことって、何ですか?

 パラグアイ、メキシコ、スペイン、すべての国で大事だったのは、あいさつですね。

――あいさつ、ですか

 そう、あいさつ。朝、最初に会ったときに、こっちから「おはよう」って。そうすると気持ちいいですし、自分の心が開いている状態なので、向こうからも話し掛けてくるし。そういうことって、とっても大事だと思いますね。

●●最後の「あいさつ」のくだりで、もしかしたら少し脱力した読者もいたかもしれない。正直、私も最初は「ハングリー」とか「プライド」とか「ファイティング・スピリッツ」とか、そういう勇ましい言葉を期待していた。だが、よくよく考えてみれば「あいさつ」というのは、いかにもこの人らしいな、とも思った。そもそも福田にとって「ハングリー」も「プライド」も「ファイティングスピリッツ」も、ストライカーとして海外で勝負する以上、自明であったわけで、それがなければ4年間も第一線で結果を出し続けることなど不可能だったはずだ。むしろ、そうしたピッチ上での活躍を下支えしていた「あいさつ」すなわち「コミュニケーション」を重要視していたからこそ、今の福田健二があったのだと思う。今後、福田が代表に呼ばれるかどうか、それは分からない。だが、これだけは確実に言える。今後、海外を目指す若い日本人選手が、福田から学ぶべきことは決して少なくはない、と●●

<了> 



海外で活躍を続ける福田健二【 photo by 宇都宮徹壱
福田健二Kenji FUKUDA
1977年10月21日生まれ、愛媛県出身。ポジション:FW。千葉・習志野高から1996年に名古屋グランパスに入団。当時のベンゲル監督に見いだされ、FWとしての才能を発揮。決定力と空中戦に優れ、名古屋在籍時には天皇杯、アジアウィナーズカップなどのタイトルを獲得。日本代表としては97年ワールドユース(現U−20W杯)でベスト8。2000年シドニー五輪の予選でも活躍したが、本大会のメンバーには選出されず。2001年にFC東京へ、2003年にベガルタ仙台に移籍すると、2004年から期限付き移籍の形で海外へ。パラグアイグアラニから、メキシコのパチューカ、イラプアトを経て、スペインに渡る。カステリョンヌマンシア、そして今季は完全移籍でラス・パルマスへ。海外でもゴールを量産し続ける生粋のストライカーである
 

http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/eusoccer/0708/spain/column/200802/at00016213.html