この3トップはどうですか?

平山、カレン、李!3トップ秒殺弾

自陣ゴール前でディフェンスするFW平山(右)。GK山本(撮影・蔦林史峰)  反町ジャパンが、究極の「最強3トップ構想」という、北京への新たな道を開拓した。熊本合宿中のU−22(22歳以下)日本代表が19日、親善試合のU−22米国戦(21日、熊本)に備えて紅白戦を実施。初招集のFW李忠成(21=柏)と平山、カレンを前線に並べる3トップを初めてテストした。中盤や最終ラインも連動した分厚い攻撃で、相手を終始、圧倒。五輪切符の獲得に向け、得点力アップの新戦術を手に入れた。

 初めてコンビを組んだ3トップは、紅白戦開始から43秒で得点を生んだ。左サイドに流れて平山がドリブルを仕掛けると、カレンはゴール前中央へ、さらに右奥へ李が駆け込む。相手DFのマークが分散された瞬間、平山がクロスを放ちカレンが左足で押し込んだ。五輪予選を目前に控える中で試された、新布陣の「秒殺回答」だった。

 李が日本国籍を取得し、追加招集されたことで実現した超攻撃トリオ。平山が「すごくやりやすかった。同じ形を(3人で)イメージできた」と話せば、カレンも「自分と李が動いて平山が真ん中で構える。お互いに通じ合うものがあった」と好感触を口にした。初招集の李は、昨年の代表戦をVTRで検証し各選手の特長を把握。今合宿中も宿舎で積極的にコミュニケーションを取り、連係プレーに生かした。「最初から、こんなにうまくいくとは思わなかった」と充実感に満ちた笑みを浮かべた。

 昨年は主に平山が1トップを務め、後方に司令塔役を2人置く布陣だった。中盤が厚い分、守備のリスクは少ないが、半面、相手の厳しいマークを受けると前線が孤立する場面がしばしばあった。だが、ターゲットマンが3人いることでマークも分散され、ボール保持率が高くなる。この日も、その間に後方の選手が次々と相手エリア内に進入し攻撃の厚みが増した。

 さらに、ボールを失ってもチーム全体で高い位置からプレスを仕掛け即座に奪い返せる。「もろ刃の剣」には終わらない相乗効果があった。「固定観念はないし、どんな形でもあり得る。FWが多いのはいいね」と反町監督。21日の米国戦でも採用する可能性が高まった。

 北京世代に加え、U−20世代のカターニャ森本やグルノーブル伊藤らFWの人材は豊富。五輪予選前に戦術の引き出しを増やせたのは大きい。新布陣を新たな北京への武器にする。【山下健二郎

[2007年2月20日9時20分 紙面から]




自分的には期待してみようかなと思っております。




平山、赤っ恥!どフリーを“大テンプラ”で紅白戦一時中断

 サッカー・U−22日本代表合宿(19日、熊本県内)紅白戦が行われ、レギュラー組でプレーしたFW平山相太(21)=FC東京=が故郷で“赤っ恥”だ。ドフリーで放った左足ボレーシュートが“大てんぷら”。すぐさま紅白戦が一時中断され、反町康治監督(42)から臨時レッスンを受けたが、そこでも失敗。この雪辱は、本番のゴールで果たすしかない!

 後方に阿蘇を望む競技場が失笑に包まれる。戦術練習を兼ねた紅白戦。ドフリーの平山が胸トラップから放った左足ボレー弾は天高く舞い上がり、ゴールを大きく飛び越した。すぐに試合を中断した反町監督はゴール前で自ら平山にボールを投げ、ボレーシュート練習を始めたが…。

 他の選手も見守る中、ボールは右へ左へ、そして上へ。4本を外したところで、指揮官があきれ顔で“公開レッスン”を打ち切った。平山は地元・九州で300人の観衆の失笑の中で頭を抱えた。

 「監督からはそんな(決定的)チャンスはないぞと。もうちょっと練習します」と平山。紅白戦後、反町監督から再度受けた個人指導では決めてみせたが、なんとも締まらない。

 「決定的なチャンスで決められないのが、ここ何年かの日本の課題」とチームに置き換えて指摘した反町監督。平山への厳しさは期待の高さの裏返し。現に前日に続き、レギュラー組FWの軸に起用している。

 「点を決めたいと思います」。21日の米国戦、そして五輪2次予選初戦となる28日の香港戦でのゴールを宣言した平山。本番ではエースの貫禄を見せつける。

2007年2月20日 03時32分 サンスポ


ボレーシュート練習は「ご愛嬌」としても、やはり集中力の問題というところかな。



40歳を迎えたバッジョデル・ピエロロナウドがメッセージ
18日、40歳を迎えたイタリアの至宝ロベルト・バッジョデル・ピエロ(32)、ロナウド(30)がそれぞれお祝いのメッセージを送った。

ユベントス時代同僚だったデル・ピエロは「自分にとって、ロビーとの関係は常に特別だった。今でもお互いを尊重し、刺激し合っている。お誕生日おめでとう」。

前日、ACミラン移籍後初ゴールを決めたロナウドは「今日40歳を迎えてバッジョに心からおめでとうと言いたい。彼は真の『10』番で、彼と同じ時代にプレイ出来た事を幸運に感じている」。



2007年02月19日16時54分


Gazzetta.it.