ガーロ体制に関する仮説

チラシの裏のメモ程度の話なのであしからず・・・(またガーロ監督擁護でもありません)

システム変更の繰り返し、戦略的な「穴」が一向に改善されないことから、選手の性格を無視した「戦術オタク」とか戦術の「押し付け」、あるいは「指導力不足」といった様様な批判がされていますが、なにが問題なのか整理してみたく・・・



まずトーチューにこういう記事が出ててあれっと思ったんですが、それは


もちろん同じメンバー、固定したシステムで戦うのが理想ですが、残念なことに浄(金沢)や規郎(鈴木)ら負傷者が続出し、やむなく布陣を変えざるを得なくなりました。そうした時に、ガーロ監督はシステムに選手を当てはめるのではなく、現在いる選手の特徴をどう最大限に生かすかにこだわっています。まず「人ありき」の考え方をすることで、結果的にはシステム変更を重ねることになりましたが、それは決してネガティブな変化ではないはずです。(霜田ヘッドコーチの記事)




次にある東京サポーターの方のブログを拝見していたところ、こう言う記事がありました。



去年までは、高い位置から前に向かってプレッシャーをかけて、その縦の推進力を奪った後の攻撃に生かすショートカウンター的なやり方だった。
でも、今年目指すポゼッションサッカーはパスを狙われてカウンターを受けやすいから、カバーリング重視の守備になるのが自然。事実、最初はカバーの意識が強くて、中央がリトリートして逆サイドが絞って「ボールを包み込む」感じで守ってた。

でも、なかなか結果が出ない状況で徐々に選手がその守り方に拒否反応を示すようになった。試合後のコメントとか、かなりストレス溜め込んでたよね。むしろ、最初からあまりやりたくなかったのかな?
「選手たちがどういうサッカーをやりたいか」を重んじるブラジル人のガーロはそれを受け入れてしまい、選手たちは前線からボールホルダーを追っかけるようになった。結果的に、カウンターを狙いそうな守備をしながら、奪ったらその勢いを自ら殺してパスを回すっていう、理屈に合わない変なサッカーになっちゃった。(metrocolorsさんのブログより)


実態がこんな感じだとすれば、「戦術の押し付け」という批判よりも「指導力不足」という批判に近いんじゃないかなと。
特にアテネ世代以上の世代に関しては、選手の側もある程度は「戦術」を受け入れることも必要な気がします。出来る範囲内でいいからチャレンジすべきではないでしょうか。監督もこういうチャレンジに関して、全面的なバックアップをして欲しいですね。