やっぱり鬼軍曹?

cafebakerst2006-03-29

☆「力む必要ない」 ガーロ監督(トーチュー)


昨年11月26日の磐田戦以降、公式戦で12戦連続無敗の浦和に対し、ガーロ監督は警戒を強めた。25日の横浜M−浦和戦を視察した指揮官は「浦和は強い。ポンテとワシントンもすばらしい選手だし、そのほかの選手もいい」と分析。土肥と茂庭の守備の要2人が日本代表に招集されているだけにこの日の練習後、塩田と増嶋の2人に「力む必要はない。責任は私が取る」と話し、チームの一体感を高めた。

(2006年3月29日)



てっきり藤さん先発とばかり思っていたが、思いっきりワシントンにぶつけるみたいですね。自分もかつて草サッカーをやってましたが、CBはまずリスクの芽を摘むことが第一。相手のいない所に大きくボールを蹴り出すことから仕事がはじまるが、増嶋は攻撃の起点になることを意識しすぎてミスしていたようにも見える。



ヒディンクの“影武者”ルッテン、トゥエンテへ
2006年3月29日(水) 18時9分 スポーツナビ

PSVでヒディンク監督の“影武者”のように働いたアシスタント・トレーナーのルッテンが、来シーズンからトゥエンテの監督とテクニカル・マネージャーを兼務することになった。PSVでルッテンとともにアシスタント・トレーナーを務めていたアイケルカンプもトゥエンテに移籍し、アシスタントとしてルッテンを支えることになる。

 ヒディンクは3月24日、今季いっぱいでPSVを去ることを発表した。PSVを欧州チャンピオンズリーグ・ベスト4という成功へと導いたトリオは、こうして今季いっぱいで解散することになった。
 
 今季のかなり早い時期から、ヒディンクは自分の後継者にルッテンの名前を挙げていたが、PSVの首脳陣はルッテンでは不十分と判断していた。トゥエンテはコーレン監督が今年に入り解任され、ファン・ステーが暫定監督となってから復調していた。しかし、トゥエンテはファン・ステーを正式な監督として昇任させる気がなく、2月ごろからルッテンとアイケルカンプのコンビがトゥエンテに来るだろうとうわさになっていた。

 ルッテンは1979年から92年までトゥエンテ一筋でプレーした。指導者としても93年からトゥエンテでアシスタント、99年から監督を務めた。2001年、オランダカップでPSVを破ってトゥエンテにタイトルをもたらした後、これを手土産にPSVに移籍し、育成部門の責任者となった。

 2002年からPSVはヒディンク(監督)、エルウィン・クーマン(アシスタント、その後RKC、フェイエノールト監督)、ルッテン(アシスタント)体制になり、2004年にクーマンが抜けアイケルカンプが加わって現体制になった。

 テクニカル・ディレクターとして、もしくは“PSVの顔”として世界中を飛び回り、最近ではオーストラリア代表の監督も務めるヒディンクの下、チームが成功したのは、“影武者”のようにヒディンクを支えたルッテンがいたからこそ。ルッテンはまだ43歳と若いが、前回トゥエンテを導いた時より円熟味を増している。

  • Toru Nakata from Holland-

サッカー

[ 3月29日 18時9分 更新 ]


トゥエンテは来季、第2のAZアルクマールとなるか・・・