トリノに関するメモ

cafebakerst2006-02-21

アルペンスキーオーモットヘルマン・マイヤー、コステリッツ・・・地獄から奇跡の生還を果たした金メダリストたち。人種差別と戦いつづけたシャニー・デービス。
こういう英雄と同じ土俵で戦って勝てるとは到底思えないな・・・




☆H・マイヤー、念願の舞台で再び輝き=奇跡的な復帰で複数メダル(時事通信)
(02/21 19:02)
 セストリエール(イタリア)21日時事】トリノ五輪アルペンスキー男子で、強豪ヘルマン・マイヤー(33)=オーストリア=が18日のスーパー大回転(SG)で銀メダル、20日の大回転で銅メダルを獲得した。自身が「最もチャンスがある」と狙っていたSGでまず銀メダル。「またこの舞台に戻れてうれしい。2度目の五輪出場は僕の最大のゴールだった。この銀メダルは素晴らしい」と表情を崩したのは当然だった。
 2001年8月にオートバイ事故を起こし、右足複雑骨折に加えて筋肉を激しく損傷。緊急手術は7時間に及び、右足切断も危惧(きぐ)されるほどの重傷だった。02年ソルトレークシティー五輪の出場は断念。過酷なリハビリに耐え、03年1月にワールドカップ(W杯)に復帰。03〜04年シーズンにはワールドカップ(W杯)で4度目の総合優勝を果たした。
 復帰当時、H・マイヤーはこう語っていた。「僕はバイク事故で2年近くを無駄にしてしまった。病院のベッドにいるときは、再び五輪に出ることはないと考えたこともある。僕は長野五輪(SGと大回転の2冠)しか経験していないから、もう一度出てみたいと強く思っている」
 念願のトリノ五輪に出場したH・マイヤーは、実力通り複数メダルを獲得。大回転で銅メダル獲得後、「トリノが最後の五輪ではない。それに08年北京夏季五輪では、陸上男子100メートルに出るかもね」とジョークも。奇跡的な復帰後、人間としての魅力が増したと評される大選手のゴールはまだ先にある。(了)



☆「本物の金」手に入れたオーモット=大けが乗り越え栄冠(時事通信)
(02/20 21:14)
 セストリエール(イタリア)20日時事】18日に当地で行われたトリノ五輪アルペンスキーの男子スーパー大回転(SG)で、2大会連続3度目の優勝を遂げた34歳のチェーティルアンドレオーモットノルウェー)。これまで五輪と世界選手権で計19個のメダルを獲得してきた「ミスター・メダリスト」だが、五輪で4個目となる今回の金メダルは、オーモットにとって特別なメダルになるはずだ。
 2003年夏、栄光の19個のメダルが盗難に遭った。「メダルが盗まれた時は悲しかった。代替品はいくつかもらったけど、きょうは本物の金メダルを手に入れたんだ」と優勝を手放しで喜んだ。
 メダル盗難の後も、悲劇がオーモットを襲った。03年10月、トレーニング中に右足首を骨折。「選手生命が終わることを覚悟した」という大けがだったが、リハビリに耐えて04〜05年シーズンから復帰した。
 トリノ五輪では、初戦の滑降(4位)のジャンプで左ひざを痛め、前回優勝の複合を回避。SGに勝負を懸け、攻撃的な滑りで金メダルをもぎとった。
 息の長い名選手は「引退の計画はないよ。前回五輪のSGで勝った時、トリノでも金メダルを狙うと言ったはずだ」。そして記者会見で隣に座った銀メダルの強豪、ヘルマン・マイヤーオーストリア)を横目に、「たぶん(2大会後の)2014年五輪でもヘルマンと戦っているよ」とジョークを飛ばし、マイヤーと一緒に大笑いした。(了)



☆金メダルの快挙、米のデービス「肌の色は関係ない」(読売新聞)
(02/20 00:20)

トリノ=若水浩】黒人選手が、冬季五輪初の個人種目の金メダリストに――。

18日(現地時間)に行われたトリノ五輪・スピードスケート男子千メートルで優勝した米国のシャニー・デービス選手(23)。差別やスケート連盟との確執などを乗り越えての快挙だった。

「肌の色には関係なく、金メダルを取ることは素晴らしいことだ。それでも、これは大きな突破口になる」。デービス選手はレース後、これまでの苦労をかみしめるように、静かに喜びを語った。

運動能力の高い米国の黒人の子供は、バスケットボールや陸上などの選手を目指すケースが多い。しかも、デービス選手が育ったシカゴには、スーパースターのマイケル・ジョーダンらが所属したバスケットのチームもある。

しかし、白人が圧倒的に多いスポーツに取り組んだ。近所の子供たちからは黒いビスケットの商品名をあだ名につけられ、好奇の目を向けられたこともある。それをバネに、人一倍の努力を重ねた。

2002年の前回ソルトレーク五輪には、ショートトラック代表として初出場。翌年からスピードスケートにも力を入れ、両種目での出場を目指したが、ショートトラックは国内の選考会で敗れた。

しかし、スピードスケートでは、千メートルで昨年11月に世界記録をマークし、金メダル候補としてトリノに乗り込んでいた。

実力者のデービス選手だが、周辺にトラブルも多い。昨年には、米国のスケート連盟との合意事項に反して個人スポンサーのロゴをユニホームに入れたため、強化資金を減らされた。連盟との関係はこじれ、連盟のホームページにはデービス選手のプロフィルさえ掲載されていない。

01年からカナダ・カルガリーに移り住み、カナダ人コーチの指導を受けている。そこまで米国と距離を置く背景には、人種差別の問題が横たわっているという。

今大会に入っても、団体種目の追い抜きに参加せず、米国がメダルを逃したことで、批判を受けた。デービス選手は「千メートルに勝つチャンスがあったから、集中しただけだ」と主張。金メダルという最高の結果を出し、非難を封じ込めた。

冬季五輪での黒人選手の金メダルはこれまで、前回ソルトレーク五輪のボブスレー女子2人乗りの米国選手が一人いるだけだ。デービス選手は優勝インタビューで、子供たちに向けたメッセージを残した。「険しい道のりでもあきらめてはいけない。信じれば、必ずできる」



☆葛藤の末たどり着いた金=デービス、黒人初の快挙(時事通信)
(02/19 10:12)
 デービスによる、スピードスケート史上初の黒人選手の金メダル獲得は、いともあっさり、それでいて強烈な印象を残して達成された。
 残り400メートルで、同走のウォザースプーン(カナダ)に遅れること0.24秒。加速が違ったのはそこからだ。ショートトラック出身らしい、巧みなコーナーワークから、バネの塊のような肢体がバックストレッチではじけた。ぐいぐい伸びて、ただ一人の1分8秒台。場内がどよめいた。
 「言葉にならないくらいうれしい」。喜びの中には、いくつもの複雑な感情が織り重なっていた。
 前回ソルトレークシティー五輪で米国代表に選ばれた際には中傷を受け、米国連盟とは個人スポンサー問題で関係が冷えている。今大会も、個人種目を優先し、新種目の団体追い抜きを欠場したことをめぐり、一部では利己的と批判された。何より、6歳から味わった、珍しい黒人スケーターとしての葛藤(かっとう)…。
 五輪の金メダルは、暗い過去と戦い続けてきた自らの「勝利」をも意味した。「今まで一番つらかったのは、自分が黒人選手だったことだ。だが、自分は何より好きなことを、最大限ベストを尽くしてやってきたんだ」。その視線はまっすぐ先を向いていた。
 そんなデービスに、銅メダルのベンネマルス(オランダ)はこう言葉を贈った。「彼は五輪王者であり、素晴らしいスポーツ選手だ。彼こそが正しいんだと思うよ」(トリノ時事)