ナカタどうした?(日刊より)

☆中田試練、ボルトンフロントから失望の声

 ボルトンMF中田英寿(28)が、W杯ドイツ大会を半年後に控えた06年のスタートを、最悪の形で切った。2日のリバプール戦もベンチを外れリーグ戦では6戦連続で出場機会なし。昨年12月以降、出場は14日のUEFA杯セビリア戦と20日のイングランドリーグ杯ウィガン戦のみと、厳しい状況は変わらない。

 そんな中、中田英は英紙タイムズの新春インタビューで、悟りの境地さながらの心情を吐露した。日本代表戦を引き合いに「なぜ、ここでサッカーをしているのだろうと混乱した。ほかの選手の目的や求めているものは何だろうと自分に問いかけた」と口にした。さらにサッカー観も「好きだが『愛』という言葉は強すぎる。見るよりやる方が好きだし、なぜ人々がサッカーファンになるのか分からない」と吐露した。

 そして「ボルトンに残りたい。でもそれは僕の力の及ばない部分の話。プレミアに順応しようと、セカンドボールの取り方を学ぼうとしている」と残留を熱望した。またプレー以上に商業面が注目を浴びることにも「いい気持ちはしないけど事実ではあるから」と冷静に話した。

 それでもフロントから失望の言葉が漏れるなど、状況は厳しい。強化部門の上層部は「試合にも出られないし、出てもあまり鋭さを見せられない。来た時は、もっと大きなものを期待したが、現在の状況にはガッカリ」と切り捨てた。06年が試練の年となるのか、その先に飛躍が待つのか…。すべては中田英の両足にかかっている。(春日洋平通信員)

[2006/1/4/07:43 紙面から]



かつてACミランからも「評価してはいるが、気持ち的な部分で共有できるものがないと獲得するわけにはいかない」と言われたことがありましたね。傍から見ればなんとも勿体無い話ではあるけど、彼が彼なりに納得できるようにやるしかないような気がする・・・(ビジネスに関心を持つのもいいけど、あと2年は限界までやったほうがいいと思うのだが・・・)


そんな彼に一言   考える前に動け
           釈迦に説法だが(爆


☆クラマー氏 日本団結を  日本サッカーの父(放置より)
 
1960年代に日本を指導した「日本サッカーの父」デットマール・クラマー氏(80)が3日、東京・赤坂の東京ドイツ文化センターで、ドイツW杯の日本代表について「1次リーグ初戦(豪州戦)で勝ち点3を取れば決勝トーナメント進出は可能。単なるファイティングスピリットだけではダメ。全員が細胞のように団結しなければいけない」と話した。

 昨年6月のコンフェデレーションズ杯、元日の天皇杯決勝、浦和―清水戦を観戦した同氏は「ゴールを決められないのはアジアの病気のようなもの。シュート練習をもっとしなければ」ともアドバイス。W杯の優勝候補には、ブラジル、イングランド、アルゼンチン、ドイツを挙げた。

 
デットマール・クラマー 1925年4月4日、ドイツ・ドルトムント生まれ。80歳。世界70か国以上でサッカーを指導した。60年、日本協会の依頼で来日し、釜本邦茂杉山隆一らを指導。64年東京五輪で8強入りし、帰国。67年国際サッカー連盟(FIFA)公認コーチとなり、74年に引退。75、76年はバイエルン・ミュンヘン監督として欧州チャンピオンズ杯2連覇。05年、日本サッカー殿堂第1回受賞者となる。
 


全体的な視野から献身的にチームワークをやることは出来る人にとっては当たり前のようにやるが、出来ない(というか思いつきもしない)人は何時までたっても出来ないということでしょうか・・・

まあここに戦術論だけ、あるいは精神論だけでは説明できないサッカー(スポーツ)の人間っぽさが出てくるところではあるが。