ワンチョペ連係合わずシュート0

相手DFと争いながらゴール前に走り込む平山(左)
Photo By 共同

 FC東京の元コスタリカ代表FWワンチョペが機能しない。J2鳥栖との練習試合(45分3本)は1本目に出場したがシュート0。中盤との連係が合わず2失点。原監督は「他の選手とリズムが違う。前に当てようと思ったときに違うことを考えている」と思案顔。2本目からFW平山を投入するとリズムが戻り、2―2で引き分けた。平山は69分の出場でシュート6本。3度の決定機はバー、ポスト、GKに阻まれたが、赤嶺の同点ゴールをアシスト。「コンディションも含めたら70〜80点」と調子のよさを強調していた。

 ≪平山が東知事激励≫11日夕にはキャンプ地の宮崎・都城市内で歓迎交流会が開かれ、同市出身の東国原知事も参加。多忙のため途中退席した知事だが、その後で「あこがれている」というFW平山を呼び寄せ、2ショットで写真におさまった。指名を受けた形の平山は「すごい大変そうなので、体に気をつけてください」と副知事問題で揺れる知事を逆に激励した。
[ 2007年02月12日付 紙面記事 ]


実際に見ていないのでワンチョぺについてはなんともいえないが、やはりCBの茂庭・エヴァの離脱の影響は深刻。DFの状況は最悪でしょうね・・・批判めいた内容になってしまうが最悪のケースに備えてリスクマネジメントをすることは必要。

オシム監督もかつて欧州合宿で1週間に3試合地元チームとの練習試合を入れて、コンディションの最悪な状態で選手たちに如何にすべきか考えさせたという話があるそうですが(やや不正確かもしれない)このあたりのDFのやりくりは避けては通れない問題のように思います。

まったくの思いつきで皆様のお叱りを受けそうですが、バックアップのバックアップということで最終ラインと中盤の両方が出来る中西永輔とか補強したらどうかとも考えてはいるのですが・・・




オシム監督Jクラブに苦言「調整遅い」
 

オシムジャパンの07年も「苦言」で幕が開けた。日本代表のイビチャ・オシム監督(65)が11日、オフを終えオーストリアから来日した。空港ではJクラブの調整遅れを厳しく指摘。日本代表千葉合宿(15〜19日)のメンバー発表が8日から14日に延期された理由に挙げた。合宿ではすぐに実戦モードに入り、練習試合を4日間で6試合をこなす予定。限られた強化機会を生かすため、合流後すぐの全力プレーを選手たちに求める。
 成田空港に冷たい緊張感が走った。来日したオシム監督は代表発表延期について「私たちが遅れたわけではない。Jクラブの準備が遅れていて、情報も集まらなかった」と説明した。さらに「私が各クラブの練習計画を立てるわけにはいかない」と続け、各クラブのスロー調整を暗に批判した。
 当初は8日に代表発表を予定していた。しかし、大部分の選手が体力づくりの段階で調子をはかることが難しかった。試合勘のないまま代表に合流しても、実戦機会をムダにするだけだ。あらためて選手の仕上がりを判断する時間が必要になったため、発表を6日後の14日に延期した。
 短い時間で強化をはかる必要性からの「苦言」だった。合宿期間は実質4日。「3、4日間など合宿とは呼べない」とこぼすが、準備は怠らなかった。理想のメンバー招集に全力を尽くした。時期が重なるため実現には至らなかったが、五輪代表の招集も調整していた。合宿では大学との練習試合を6試合予定、効率良くオシムイズムを浸透させる機会も整えた。
 それだけに各クラブのスロー調整が歯がゆかった。すべてをサッカーにささげることを求めるオシム監督の名言は「休みから得られるものはない」。千葉時代は新年のチーム始動後すぐに実戦入り。選手たちはオフ中も調子を落とすことが許されなかった。しかし、ほかの多くのJクラブは、相変わらず始動から2週間以上をかけ、体力づくりに励んでいた。
 「(コンディションの整った)全員をそろえて始めたい」とオシム監督。14日の代表発表では、慎重に調子を見極められた選手が名前を連ねそうだ。「来年のW杯予選に重点を置く。でも今年も成績を上げないと、納得されないということも知っています」。06年は初代表26人を選出したテスト段階。次のステップを目指し、オシムジャパンが年始から全力で走り始める。【塩畑大輔】


2007年02月12日09時53分


日刊スポーツ