本年初のオシム語録をどう読むか?

2010W杯アジア予選、今の力では突破は難しい…オシム監督インタビュー
「今の力では10年南アW杯のアジア予選突破は難しい」と、日本代表の“現実”を直視するオシム監督
 新年の抱負。普通、それは、夢と希望に満ちあふれたものになる。しかし、日本代表イビチャ・オシム監督(65)のそれは、絶望感ばかりが漂う。「今の力では10年南アフリカW杯アジア予選を突破することは難しい。夢と現実は別のものです」名将は、厳しい現実を知ることが夢に近づく第一歩と訴える。

 現実主義者、いや、悲観論者というべきだろうか。晴れの正月インタビューでも、オシム監督から、威勢のいい言葉が聞かれることは、一切なかった。
「日本代表は、今の力では2010年W杯アジア予選を突破することは難しい」

 サポーターにとって、ショッキングな言葉だ。指揮官は、その理由を淡々と説明した。
「オーストラリアがアジアサッカー連盟(AFC)に加わりました。シリア、バーレーンイラク、タイが力を伸ばしています。韓国、サウジアラビア、イラン、カタールアラブ首長国連邦(UAE)など従来の強豪国は、もちろん侮れません。アジアサッカーは急激に進歩しています。ジーコ前監督(53)がアジア杯王者になった時(04年)と時代は違うのです。ジーコ前監督はアジアチャンピオンという大きな足跡を残した。しかし、その時のチームと、今のチームは違います。日本代表という同じ名前のチームですが」

 ちょうど1年前。当時、日本代表を率いていたジーコ前監督はオシム監督とは対照的に極めて前向きに話した。「ドイツW杯では絶対に優勝するんだ、と考えている」前指揮官の熱い口調に、日本中は夢と希望にあふれていた。だが、しかし…。結果は1次リーグ敗退だった。
「私にも夢はあります。こんな夢を見た、と話しをすることもできるが、それは正常な人間のすることではありません。私は、客観的に考えたことを話します。夢と現実は別のものなのです」

 オシム監督は、日本代表監督という大きな役割を、真正面から受け止めている。
「日本代表監督を務めることは名誉ですが、それだけではありません。責任、プレッシャーの大きさを知っていますか? そのようなことを考えない人だけが幸せになれる。私は、今、100%幸せとは言えない。幸せのみ感じる人は、やはり正常ではありません」

 78年に現役を引退。同年、サラエボのゼレズニチャルでコーチとなり、指導者の道を歩み始めた。07年は30年目。節目の年だ。経験豊かな指揮官は、あくまで冷静に語る。
「サッカーは常に進歩しています。それは永遠に続きます。日本のサッカーは進歩していますが、世界のサッカーも進歩しているのです。日本が大またで歩いても簡単に追いつきません。それに余りに大またで歩くと転んでしまいます。一気にジャンプすると追いつける、と考えてはいけません」

 では、実際にどうすれば、日本は世界に近づくことができるのだろうか。オシム監督は、具体的な弱点と、強化プランの一端を明かした。
「現在、FWに問題があります。つまり、決定力です。1―0で勝つより、5―0で勝つ方がいいという単純な問題ではありません」

 長年、日本サッカー界の課題である決定力不足は、名将といえども一朝一夕には解決できない。強固な守備、そして、DFラインからのビルドアップのレベルアップを強く訴える。
「守備については相手の戦い方によって変わりますが、基本的には1人の相手FWには1人のストッパーに任せたい。相手がどんなに強力なFWでも1人で抑えられれば中盤でパスをつなげます。そして、古典的なストッパーではなく、パスをつなげられるDFが必要です。闘莉王(浦和)、阿部(千葉)、今野(F東京)、水本(千葉)、彼らはレギュラーが決まったわけではないが、DFの問題はある程度、解決できると思っています」

 さらにサイド攻撃がオシム・ジャパンのカギを握ると強調する。
「現代のサッカーでは優秀なサイドの選手が必要です。駒野(広島)は右も左もできる。良いお手本です。政治には左右がありますが、サッカーにはありません」

 オシム監督就任後、7試合で38人を招集した。そのうち、初代表の選手は26人。06年はテスト期間だったとも言える。07年は中村俊輔セルティック)、高原直泰(フランクフルト)ら欧州組が“新戦力”として大きな期待がかかる。
「今後、海外でプレーしている選手が日本代表に加わるでしょう。日本にも世界で通用するタレントはいます。U―22(22歳以下)日本代表から3〜4人が入る可能性もあります。日本代表チームのドアは、どの選手にも開かれています」

 07年の最大のイベントは、アジア杯(7月・タイ、マレーシア、ベトナムインドネシア共催)。日本は、3連覇を目指すが、オシム監督はあくまで慎重だ。
「アジア杯では何を目標とするか、それを決めることが大事です。勝つことを優先させるのか。それとも、W杯アジア予選と位置づけるのか。もし、負けても、その後、強いチームができる可能性があります。その方が大事でしょう」

 慎重すぎるほど慎重な性格は、オシム監督の半生が大きく影響している。92年、旧ユーゴスラビア軍がサラエボに侵攻。その時、オシム監督はベオグラードに滞在しており、戦火を逃れたが、家族はサラエボに取り残され、94年まで再会することはかなわなかった。
「私の国では、朝、起きた時、今日一日を生きることが幸せなのか、考えなければならない。これは体験した人でなければ分からない。言葉で説明することは出来ません。日本は、正月でなくとも、良い環境があります」

 オシム監督には、新年の楽しい思い出はあったのだろうか?
「やはり、サッカーのことしか思い浮かびません。私からサッカーを取り上げたら何も残りませんから。サッカー漬けであることは良い人生です」

 気難しい65歳は、ようやく、少しだけ、ほほ笑みをたたえた。07年もオシム監督は、選手たちを厳しく、そして、熱く、見つめるのだ。

オシム語録

(2007年1月1日06時03分 スポーツ報知)


あえてマイナスな発言をすることで、選手やサポーターの反発心・奮起を促していると読みましたが、皆さんはどう受け取りましたか???