惨敗後一日経過。(南アフリカまであと1500日弱)

cafebakerst2006-06-24

☆批判勢力も必要(詳しくはまた書きます)
http://germany2006.nikkansports.com/column/sergio/sergio-top.html


一方、協会の動きも早いですね。

オシムジャパン 今月中にも誕生
ジーコ監督の後任として、日本代表監督就任が決定的となった千葉・オシム監督


W杯ドイツ大会で日本代表を指揮したジーコ監督(53)の後任監督に千葉のイビチャ・オシム監督(65)が就任することが決定的であることが23日、明らかになった。すでに日本サッカー協会接触し、オシム監督自身も就任に前向きであることから、今月中にも最終結論を出す見通しだ。22日(日本時間23日早朝)のブラジル戦で1―4と完敗し1次リーグ敗退が決定した日本は、24日に帰国。2010年南アフリカ大会への立て直しは、90年W杯イタリア大会で旧ユーゴスラビアを8強に導いた名将に託される。

 ジーコ監督が目標に掲げた優勝にはるか遠く、日本の1次リーグ敗退が決まった。2010年の南アフリカ大会へは若手の人材育成と強化が急務となるが、その重責は、指導者として国内外から絶大な信頼を寄せられている名将オシム監督の手に委ねられることになりそうだ。

 日本サッカー協会関係者によると、5月6日の千葉―横浜戦が行われた日産スタジアムで協会幹部が千葉側に正式オファー。5月下旬には千葉県内のホテルでオシム監督本人と極秘接触し、直接申し入れたという。W杯1次予選最中の04年4月にジーコ監督解任騒動が起こった際も就任を打診しており、今回のオファーは2度目。オフで欧州滞在中のオシム監督とは今も接触を続けている。18日のクロアチア戦の後には、田嶋幸三技術委員長がオーストリアにあるオシム監督の自宅を訪問。すでに体制や予算など具体的な話も交わされている。4月から後任人事に着手していた川淵キャプテンは、ブラジル戦後「初めから1人に的を絞ってやっている」と説明したが、その継続して交渉を続けてきた相手こそがオシム監督だ。

 来日4年目のオシム監督は、かねて日本代表への興味を示しており、今回のオファーについても周囲には「光栄なこと」と漏らすなど前向きだという。ただ、千葉がリーグ5位と優勝を狙える位置にいるため、年内は代表とクラブの兼任を希望。協会側もその条件に応じる方向で調整している。川淵キャプテンは「今月中か来月早々に発表できる」と明言。オシム監督は29日に再来日予定で、それまでに結論を出すことになりそうだ。

 90年W杯イタリア大会で旧ユーゴスラビアを8強に導き、オーストリアのシュトルム・グラーツでは欧州チャンピオンズリーグに3度出場。03年からは千葉(当時は市原)を率いて、残留争いの常連を1年目から優勝争いができるチームに変えた。「考えながら走るサッカー」を浸透させ、昨年はナビスコ杯で優勝。日本代表のFW巻やMF阿部、ユースで活躍したMF水野、DF水本ら若手選手を育ててきた。最も心配される65歳という年齢も、現在は定期的に健康診断を受けており健康面に不安はない。

 ウイットに富んだ「オシム語録」でも有名な指揮官は「日本独自のサッカーをしなくてはいけない」と語ったことがある。不完全燃焼のまま終了したジーコ体制から、どのように強化を図るのか。オシムジャパンの誕生は秒読み段階となった。

 ◆イビチャ・オシム(Ivica Osim)1941年5月6日、サラエボ出身。ゼレツニカル・サラエボストラスブールなどで攻撃的MFとして活躍し、旧ユーゴスラビア代表で16試合8得点。64年東京五輪で日本と対戦し、2得点を挙げた。78年から指導者に転向。86年に旧ユーゴの監督に就任。94年から、わずか12人でスタートしたシュトルム・グラーツを指揮し、欧州CL出場を果たした。05年にナビスコ杯で優勝。会見などで「ライオンに襲われたうさぎが肉離れしますか?」などの名言を生む「オシム語録」が人気。1メートル91、90キロ。
2006年06月24日付 紙面記事



ジーコ監督後任にオジェック氏有力

 日本サッカー協会が次期日本代表監督に、J1浦和やカナダなどで監督を務めたホルガー・オジェック氏(57)を有力候補に交渉を進めていることが23日、明らかになった。川淵三郎キャプテン(69)はこの日「交渉は7、8割うまくいっていると思う。遅くとも7月上旬には発表したい」と語った。日本代表は22日、ブラジルに1―4で敗れ、ドイツW杯1次リーグ敗退が決定。ジーコ監督(53)は4年間の任期を終えて、退任する。次期監督の交渉は4月以降、難航してきたが、協会側は7月10日をデッドラインに新体制を固め、10年南アフリカW杯を目指す。

 ブラジル戦敗退から一夜明け、川淵キャプテンはこれまで言及を避けてきた次期監督問題に触れた。「交渉は7、8割進んでいるといっていい。今月中か、遅くても来月上旬には発表したい」と語った。指導者としての実績があり、日本をよく知るという条件を前提に、「選手が自分の意思でいろいろなケースを打開していける監督を選んでいきたい」と、理想像を語った。

 ジーコの後任選びは、4月から監督候補のリストを基に、様々なオファーを出してきたが難航を続けている。その中で残された人材の一人がオジェック監督だ。

 ベッケンバウアー監督の下で旧西ドイツ代表のコーチとして90年イタリアW杯優勝に貢献。95年には当時J最弱だった浦和の監督に就任し、強豪に育て上げた。カナダ代表監督としても00年の北中米カリブ海選手権を制覇。戦力的に決して恵まれていないチームを、うまくまとめ上げて結果を残している。

 現在は国際サッカー連盟(FIFA)のテクニカルスタディグループの一員として、W杯各試合のマン・オブ・ザ・マッチ選出などを行っている。ドイツW杯の最中もボン入りし、日本代表の練習を視察している。

 日本サッカー協会はこれまで、イングランド代表を率いる世界的名将・エリクソン監督、リヨンをフランスリーグ最強のチームに育て上げたフランス人のウリエ監督らに打診したが断られ、98年W杯でフランスを優勝に導いたエメ・ジャケ監督は、金銭的な条件で決裂した。提携関係にあるフランス協会からは無名の人材しか推薦がない状態で、迷走を続けてきた。

 田嶋技術委員長はブラジル戦を控えた21日の練習前、ボン市内のG―JAMPSで川淵キャプテンと極秘会談を行い、交渉過程などを説明。7月上旬までにオジェック監督ら現在の候補と交渉がまとまらない場合には、国内で指揮を執る監督へ切り替えることを確認したようだ。

 新生日本代表の船出は8月9日の親善試合(国立・相手未定)と決まっており7月には始動する必要がある。日本サッカー協会のある幹部は「本人やスタッフのビザや家などの手配などを考えると、7月10日前後には決めないと間に合わない」と、海外から新たな監督を呼ぶ場合に7月上旬がリミットになる理由を説明した。日本代表を崩壊から救う新監督を決めるために残された時間は少ない。

 ◆ホルガー・オジェック 1948年8月31日、ドイツ生まれ。57歳。現役時代はブンデスリーガでのプレー経験はなく、北米リーグで21試合2得点を記録したのみ。引退後は87年から西ドイツ代表のアシスタントコーチを務め、90年のW杯制覇に貢献。その後、ドイツのVfLボーフム、トルコの強豪・フェネルバフチェの監督を歴任。95年にJ1浦和の監督に就任。2年連続最下位だったチームを優勝争いに加わらせた。96年に退任し、00年にカナダ代表監督に就任。00年の北中米カリブ海選手権優勝に導いた。04年にはドイツ代表スタッフ入りを要請されたが拒否した。

(2006年6月24日06時03分 スポーツ報知)


一方、この人も動きも早い
☆カズが中田に代表続行熱望「まだやれるぞ」 J2・横浜FCの元日本代表FW三浦知良(39)が23日、MF中田英に代表続行を訴えた。

ブラジル戦をテレビで観戦したカズは「この結果をふまえて強くなっていってほしい。下を向く必要はない。胸を張って帰ってきてほしい」と選手にエールを送った。

 試合後に涙を浮かべた中田英について「珍しい光景だったね。W杯に向けての思いとか、かかっていた責任が出たのでは。彼のここまでの約10年間のすべてをかけてドイツに照準を合わせてきた。だから、チーム内のことが気になったり、不安に思ったのではないか」と思いを代弁。「代表引退の話がある? 続けてほしいね。次(のW杯)はまだ33歳でしょ。その次も37歳だし。体力的に全然やれると思うよ」と話した。

(2006年6月24日06時03分 スポーツ報知)


中田英、涙のドイツから再出発!ブンデス・ヘルタ移籍浮上(サンスポ)

まだ代表引退なんてできない…。MF中田英はピッチにあおむけに倒れ、このまま約10分間も動けなかった(AP)
W杯1次リーグ第14日(22日=日本時間23日、日本1−4ブラジル、ドイツ・ドルトムント)日本代表の1次リーグ敗退が決まった22日(日本時間23日)のブラジル戦後、MF中田英寿(29)=ボルトン=が代表続行への意欲を示した。うわさされた“代表引退”を「次につなげるしかない。まだまだ力が足りない」と号泣の中で否定した形。そんな中田英に対し、ブンデスリーガ・ヘルタが獲得に動き出したことが判明した。次回2010年南アフリカ大会を視野に、屈辱の地ドイツで“リベンジ”への挑戦権をつかみ取る可能性が出てきた。


中田英の目は赤くはれていた。ドイツでの悔しさはヘルタで晴らすことになるのか(撮影・森本幸一)
泣きじゃくった顔はもうクールな表情に戻っていた。しかし、中田英の目はまだ赤かった。

「まだまだ力が足りないことを実感した。W杯の結果を素直に自分たちの力と実感して、次につなげるしかない」

ブラジル戦前に更新した自身の公式ホームページで「最後」という言葉を強調していたが、敗北にまみれて「次」に力を込めた。代表引退−。まだまだそれを宣言するわけにはいかなかった。

そんな中田英に、屈辱にまみれたドイツの地で“リベンジ”の機会が急浮上してきた。ブンデスリーガ・ヘルタが獲得に動き出したことが分かった。ヘルタは同じF組のライバルだったクロアチア代表主将MFのN・コバチが今季限りで退団する。後継の中盤選手を探しており、昨季もオファーを出すほど熱望する中田英の獲得に本腰を入れ始めた。

保有権を持つセリエAフィオレンティーナと今季レンタル移籍したボルトンとの交渉が間もなく開始される。プレミア残留を第一希望に交渉は進められるが、本人はクラブの格以上に出場機会を重視しているという。移籍金など条件面の問題はあるが、本拠地ベルリンもお気に入りの場所。イタリア、イングランドに続く第3のリーグに戦いの場を移す可能性は十分ある。

世界のNAKATAを象徴するシーン。ブラジル代表FWアドリアーノ中田英を慰めた(AP)

ドイツでさらに自分に磨きをかけていくことになるかもしれない。もっとも、代表続行の気持ちが強固になっても次期監督の人事が影響する。後任監督との対話で意見が食い違えば、あっさり身を引くこともある。ただ「3回目の今回は本当に戦っている感じがした。それだけに、こういう結果になって残念」と代表への情熱が薄れることはない。

日本でただ1人、W杯3大会全10試合に出場した男。自然とこみ上げた涙が“やり残した”ことの証だ。試合後、ピッチ中央にしゃがみ込み、交換したブラジル代表の黄色いユニホームで顔を覆った。DF宮本が「サポーターにあいさつに行こう」と声をかけると「疲れて立てない。先に行ってくれ」と答えた。

涙を隠すためだった。「涙? そんなことないと思いますけど」と否定した中田英。しかし、日本サッカー協会川淵キャプテンは「廊下で1人座り込んで肩をふるわせて泣いていた」とそっと明かした。

南アフリカ? はい…」。次回南アフリカ大会については言葉を濁した。4年後は33歳。確かに年齢的には微妙なところだ。しかし、はらした目が9年間過ごした代表への“愛”を物語る。中田英の公式HPは23日、アクセスが集中してつながらない状況が続いた。誰もが行く末に注目している。誰もが“日本の王様”の必要性を感じている。

(志田健)