名古屋 ストイコビッチ監督誕生へ
10月13日7時1分配信 スポーツニッポン


01年7月、名古屋で選手としてのキャリアを終えたストイコビッチ氏。今度は監督として古巣を初Vに導く

 名古屋の来季監督に94年から8シーズン、名古屋でプレーしたドラガン・ストイコビッチ氏(42)が就任することが12日、決定的となった。セルビアの名門レッドスターの会長を務める同氏は現在、金銭面など条件面を交渉中で、近日中に正式に契約する。

 リーグ優勝のない名古屋が悲願達成のために白羽の矢を立てたのは、やはりピクシーだった。関係者によれば、ストイコビッチ氏はレッドスター退団の意思を既に周囲に伝えたという。年俸、契約期間など交渉は詰めの段階に入っており、“妖精”が再び赤いユニホームに袖を通すのは確実な状況だ。

 昨季から指揮を執るフェルフォーセン監督は今季で退団するが、名古屋はこの2年でMF本田、FW杉本らの若手が日本代表に招集されるまでに成長。強豪へと進化する基盤は整っている。現役時代は日本代表のオシム監督が指揮したユーゴスラビア代表のエースとして90年W杯イタリア大会のベスト8に貢献。また、名古屋にも天皇杯のタイトルをもたらすなど創造性豊かなプレーで観客を魅了した。「ピクシー」が今度は監督として古巣を初のリーグ制覇へと導くべく、手腕を発揮する。

最終更新:10月13日7時1分


オシム監督の動きとシンクロしてるようにも見える。
ここでは名古屋がどうとかは別に




ストイコビッチ氏、今後の去就は明言せず 「今は休息する時間が必要」
 元J1名古屋で活躍し、2005年からセルビアレッドスターで会長を務めていたドラガン・ストイコビッチ氏が12日、同職を辞任することを発表した。

 辞任発表会見でストイコビッチ氏は、会長就任時から現在に至るまでの心境の変化を次のように語った。
「今から2年3カ月前にレッドスターの会長職就任の依頼を受けた時、私に迷いはなかった。当時の私には、レッドスターで達成したい3つの明確な目標を持っていた。それは『国内一の強豪クラブ』、『欧州でのクラブの躍進』、そして『クラブ財政難の克服』である。そしてそれは、それぞれ『2季連続で国内リーグ、カップ戦を連覇』、『2回のUEFAカップのグループステージ進出』、『(優勝賞金や選手移籍による)財政の安定』という結果となって表れた。しかし、その道のりは決して容易なものではなかったし、多くの苦労と困難の連続でもあった。今、こうして振り返ってみると、私個人としても、そしてクラブとしても、これらの結果には満足していると言えるだろう」

 辞任の理由については、次のようにコメントした。
「私はクラブのために大変な努力と労力を費やし、疲れてしまったことも認めなければいけない。選手時代にキャプテンとしてチームを率いるのと、会長としてチームを率いるのには、大きな差があるのは事実だ。ある時、私は自分自身に問いかけた。『現在、私がレッドスターに対してしていることは、現在のレッドスターにとって十分なことなのだろうか。現在のレッドスターにとって必要なものが、私自身に備わっているのだろうか』と。国内戦、欧州カップ戦での結果という点で私の目標は達成され、私は次第に競争心がなくなっていくのを感じた。ある種の壁に突き当たり、『この先何があるのか』と思うようになった。その後、今のレッドスターには、多くの知識と実績を持つ経営者が新しい会長となるべきだと私は思うようになった」

 最後に、ストイコビッチ氏はクラブに対する感謝と愛情を強調した。
「今まで私を支えてくれたスタッフ、サポーター、友人に感謝すると同時に、私の気持ちを理解してもらえることを願っている。私の心はいつまでもレッドスターとともに生き続けるし、今後もドラガン・ストイコビッチレッドスターとの関係は永遠に失われない」

 会見後には記者団から今後の動向、名古屋への復帰を含め、うわさされるさまざまなオファーについて質問が飛び交った。
「いつも多くのオファーがあるのは事実。ただし、それがどのようなもので、それに対してどのような返事を出すかは、現時点で何も言うことはできない。今後、それらは分かってくるだろう。いずれにしろ、今の私には休息する時間が必要だと思っている」

  • Chihaya Oyaizu from Serbia-

[ スポーツナビ 2007年10月14日 13:11 ]





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