松井の近況(保存用)

木村かや子 スポーツナビ


松井大輔、ステップアップへの新シーズン(1/2)
プロとして成長を遂げたル・マンでの1年


2007年07月30日


■ガルシア新監督の下でスタートを切った松井
試行錯誤の06−07シーズンを経て、松井のステップアップへの新シーズンが始まる【 Photo:PanoramiC/AFLO 】
「このチームでプレーできる時間も、たぶんもうわずかしかないから、一瞬一瞬を大切にかみしめながら(ピッチに)入りました。『ありがとう』という気持ちで」

 故障に始まり、リザーブチームへの左遷、そして復活――山あり谷ありだった2006−07シーズン最終戦の直後、ル・マン松井大輔が言ったこの言葉は、いやでも移籍の可能性を連想させた。もっと厳密に言えば、松井は「ここに立っている時間ももう短い」と切り出して皆をドキッとさせ、それから「チームから出るやつもいるし」とフォローしたのだが、このとき彼が、仲間が去って同じチームでなくなることを指したのか、自分の移籍のことを考えていたのかは推測するしかない。想像するに、3月中旬から4月末にかけて出番のなかった6週間の間には、“移籍”の二文字も頭に浮かんだことだろう。

 しかし新シーズンが始まろうという今、松井に移籍の話はなく、どうやら今季もル・マンで、ということになりそうな気配である。彼はうわさになっていたアンツ監督の退団が決まったことを日本で聞き、「監督が変わればすべてが変わる」と不安を口にしていた。しかし、実際に新監督のルディ・ガルシアに会った後、松井は「すごくいい監督。フィーリングが合っている感じです」と、非常にポジティブな口調になっていた。新監督は穏やかでコミュニケーションを大切にし、休みも選手と話して決めるような柔軟なタイプだという。敗戦後に「日曜も練習だ!」と爆発することもあったアンツ前監督よりも「実はいいかも?」と、松井は思い直したようだ――私はこう勘繰った。

 リーグが始まってみたらガルシア監督は実はもっと熱かった、ということもないとは言えないが、選手としては落ち着いた監督の方が、気が楽だろう。しかし、感じがいいのと有能かどうかは別問題なので、こればかりは蓋を開けてみないと分からない。とはいえ現時点で大事なのは、松井がフィーリングが合うと感じていることだ。監督と合わないと起用されにくいのが、サッカー界の常だからである。



■嵐を抜けて成長した06−07シーズン
 優しすぎる監督は選手をコントロールできないというケースもあるので、フランスに来たばかりのころの松井には、アンツのような叱咤激励してくれる怖い監督の方が良かったかもしれない。しかし今の松井なら、フィーリングさえ合えば穏やかでも大丈夫だという気がする。というのも、困難に満ちた昨シーズンを経て、松井がめっきり大人になったと感じられるからなのだ。

「今までで一番考えたシーズンでした。自分のプレーについてよく研究したし、本当に勉強にもなった。そういう意味で、自分のキャリアにとっていい1年だったと思います」

 松井はこう振り返った。その言葉通り、1年という短い期間の中で、松井はプロとして一段とたくましく成長していた。長びいた故障の後、調子がいいのにチームから外され、時にはベンチにも入れずに、CFA(4部に当たるアマチュアリーグ)に送られた。しかしそこからの奮起が、松井のシーズンを、ある意味で前年以上に実りあるものにしたのである。
 チームに負けが混み、1カ月半ぶりに呼び戻された松井は、復帰試合となった5月5日のナント戦を自らのゴールで飾ると、それ以後、もうトップチームから離れることはなかった。台風一過の後の晴天。最終節のニース戦でも1ゴールを決めて06−07シーズンを締めくくった後、松井は、「苦しい1年だったけれど、終わりよければすべてよし」という言葉で、嵐を抜けた感慨を表現した。



■「ボールが来ない」いら立ちと模索の時期
 この見事な逆転劇以上に目を引いたのが、その裏で起こっていた松井の心理と姿勢の変化である。シーズン前半に故障する前後、松井は「自分にボールが来ない」とぼやいていた。ロマリッチが中盤センターでボール配分をつかさどっていたのだが、彼は遠距離から無理やり自分でシュートを放ったり、たとえ左サイドがノーマークでも右サイドのバングラの方ばかりにパスを出すなど、プレーが右に偏る傾向があった。そのため左サイドの松井は、フランスで言う“透明人間”(=存在感のない選手)になる。「反対側がガラ空きじゃないか」と見ている側ももどかしく思ったが、松井自身も「ボールが来ないと何もできない。(ロマリッチバングラは)黒人同士で仲がいいから、どうしても友達にパスを出す」と、ちょっぴりいらついていた。

 そこで松井がやったことは2つある。まずはロマリッチと話し、「フリーになっているときにはボールくれよな。見ないと怒るぞ」と伝えたこと。といっても敵対するのではなく、ロッカーの位置がバングラロマリッチの間であることを利用して、彼らとの親交を深めるように努めた。
 またアンツ監督とも話し合い、自分の意見を説明した。松井の主張は、サイドチェンジをすれば、プレーにバリエーションが出るということ。リヨンはそうすることでプレーが流動的に回っている。つまり、ル・マンには逆サイドにフリーの選手がいるのを見ていない人が多いが、そういう部分をうまくやればもっと点も入る、という理にかなったものだ。それに対し監督は、「ロマリッチのように遠くから数多く蹴って、それで(ゴールに)入るやつもいるから何とも言えないけれど、個人的にはサイドチェンジを多くしていく方が、効果的にサッカーが流れるんじゃないかと思っている」と基本的に同意した。

 これをきっかけに、サイドの偏りはわずかに改善された。しかし夜型の人間が朝型にはなれないように、少しするとまたずるずると元に戻ってロングボールがぼんぼん飛び、パスが来なくなる。松井は「(空いてる選手を)見ていないんじゃなくて、見えていない」と言ったが、確かに猪突(ちょとつ)猛進型の選手に、ミランピルロのようなビジョンを持てといっても無理な話である。松井はまた「芝との関係もあるかもしれない」と分析している。カーペットのような日本のピッチと違い、フランスのピッチの多くは非常にでこぼこな、俗に言う“イモ畑”。そのため、サイドチェンジで精度の高いパスを蹴るのが不可能な場合が多いというのだ。リーグアンの悲しい現実に直面した松井は、暗中模索を続けていた。

<続く>



松井大輔、ステップアップへの新シーズン(2/2)
プロとして成長を遂げたル・マンでの1年


2007年07月30日


■4部送りに6試合出番なしの苦悩
1カ月半ぶりの復帰となった5月5日のナント戦でゴールを決め、チームメートから祝福される松井【 Photo:AFLO 】
 彼が、前述の監督との話し合いについて語ったのは、確か1月、故障明けのトロワ戦で復活の2ゴールを決めていいムードだった時である。ところが2月に入ると、新たな問題が持ち上った。何試合か得点に絡めない試合が続き、松井がベンチ入りや途中交代する試合の数が増え始めたのだ。2月には先発できないと言っていたのが、3月3日のナンシー戦ではベンチにも入れず、初めてCFAの試合に回された。前年には、両サイドを使ってそれなりにチームワークで攻めていたル・マンだが、昨季はパワフルな選手が加入したこともあり、明らかにパターンは“個人の力で打開”する色が強くなっていた。

「前からあんまりコンビネーションはないし、ババーンと押して、『あ?』みたいにゴールに入るのが多いから……。でもまあ勝てばいいんじゃないですか、こっち(フランス)では」。初のCFA送りの後、松井はちょっぴりヤケになってこう言った。一方のアンツ監督は、4部送りが松井に少なからぬショックを与えていたことに気づいてはいたようだ。「チームには常に競争があり、ダイ(松井)にとってもそれは同じだ。どのチームにもあることだから、ショックを受けているとしたら、彼は間違っている。シーズン終盤に向けて、私にはダイが必要なんだ」。彼はわれわれにこう説明したが、当の本人にはこれといった説明はなかったらしい。3月のある日、松井は「監督が何を考えているのか分からない」とぼそりとつぶやいていた。

 しかし、最悪の事態はこの後にやって来る。松井が再びトップチームから外された3月17日、ル・マンは“個人の力で打開”タイプのプレーが当たって、リールにアウエーで勝利した。それに気をよくした監督は、その勝利メンバーに固執する。その結果、調子は良かったにもかかわらず、松井は6試合出番なし。その間、チームに引き分けや負けが続いても、外から見ているしかすべがなかった(松井が出ていない6試合の成績は、最初の1勝の後2分け3敗)。

 松井は本来、風の向くまま気の向くままという感じに事をさらりと流し、わが道を進むタイプだ。しかしそんな彼であっても、このピッチ外にいた間は、いら立ちを感じていたに違いない。地元の記者は、松井いわく“勝手な想像”で、「松井と監督の間に意見の対立がある」とうわさし始めていた。



■トップチーム復帰と復活のゴール
 しかし、そこで腐らなかったのが松井の強さだった。「我慢しなきゃいけないときもある」と腹をくくって練習に励むうちに、チームは勝ち点の獲得できない試合を重ね、アンツ監督が松井を呼び戻す。
 復帰試合となった5月5日のナント戦での松井の動きは目覚ましかった。右へ左へとめまぐるしくと動き、相手をかく乱。この試合で松井はル・マン唯一のゴールを挙げるのだが、試合後、彼は「代理人にビデオを送ってもらって、去年(05−06シーズン)良かったときのプレーを見直したんです」とその秘密を明かした。「どういうプレーをして、どう動いてたときに一番良かったかを再確認したかった。ビデオを見て、今年になって動きが足りないと感じたので、そこを意識しながら試合に臨みました。僕のボールのもらい方にも悪いところがあったと思うので」

 考えてみれば、オセール時代のカポとシセのように、選手が仲良しの相棒にボールを出すのは、そう珍しいことではない。ビジョンが狭く、ピッチ全体を使わずに勢いで攻め、勢いでゴールするのも、リヨン以外のリーグアンのクラブではいわば常識。最初は前年の残像を捨て切れずにいた松井も、次第にチームの変貌(へんぼう)とリーグアンの現実を受け入れ、その中でどうするべきかということに気持ちを切り替えたのである。

 要約すれば、松井の心理の変化は次のようなものであった。(1)ボールが来ないので当惑する→(2)もっと空いている選手を見ろよと怒る→(3)監督やチームメートと話し合い、もっとプレーを組み立てるよう主張する(=リヨンやミランを想像しながら、仲間のプレーを変えさせようと試みる)→(4)それでもまた同じことが起こり、チームから外されて一瞬落ち込む→(5)「監督は何を考えてるんだよ」とちょっぴり怒る→(6)考えを深める→(7)リーグアンの現実と、チームのプレースタイルが変わった事実を、抵抗するのではなく受け入れる→(8)その中で何ができるかを考え、自分の悪かったところを探す→(9)悪かったところを直す→(10)復活!

 確か、大学の心理学の時間に習った死に直面した人間の反応に、「驚き」→「怒り」→「悲しみ」→「甘受」→(人生の書なら、その後に「希望」と続く)というようなものがあった。対象は違うが、松井は似たような心境の変化を経て、リーグ終了前に復活を果たした。復帰戦でゴールを挙げ、指揮官がその後自分をチームから外すことのないようにしたところはさすがである。実際、松井がゴールを決めた後、ロマリッチをはじめチームメートたちが目に見えて松井にパスを出すようになった。まさに結果を出して信頼を勝ち取るというやつだ。以前のフランス代表に“困ったときにはジダンにパス”という悪い癖があったが、行き詰まったときに何とかしてくれそうな人にボールを渡すのは、どのレベルでも起こり得ることである。



■チームの勝利のために戦うプロに
 チーム内では常に、仲間の信頼、監督の信頼を勝ち取るためのバトルがあり、さらにピッチ上でのバトルがある。松井は言った。「(試合に)出られないときに考えなきゃいけないことはたくさんある。そういうことをプラスにできたのはすごくうれしいし、これからも続けることが必要だなと思います」。こういう自覚が芽生えた分、アンツ監督が松井を一時期トップチームから外したことは、結果的に、彼にとって実りになった。

 アンツ監督が昨年、「ダイは、ボールと戯れるのが大好きな、体の大きな子供だ」と言ったことがあった。一方、松井はことしの初頭に「これまでは(好きなプレーを)自分だけやっていればいいやと思っていたけれど、今はチームが勝たないとすごく嫌だから、とにかく勝てるようにしたい」と心境の変化を明かしていた。
 以前、あるライターが彼のことを“さすらいのドリブラー”と呼んだことがある。一人でひょうひょうとドリブルをする、やや一匹狼のようだった彼をうまく表現した言葉だが、“さすらいの”という部分に「自分だけやっていればいいや」という、以前の彼の心理状態が表れていると取ることもできる。ボールと戯れるのが好きだった子供は、その戯れを結果に変えることを学び、“さすらいのドリブラー”は、チームのためにドリブルし、チームの勝利のために戦うプロになった。

 ル・マンとの契約をあと1年残している松井は現在、来夏のステップアップを視野に入れ、いい新シーズンを送ろうと決意している。ステップアップ――その言外の意味は、高いレベルのクラブ、あるいはより高いレベルのリーグでの新たなチャレンジだ。ビジョンがなく、プレーを組み立ててゴールに結び付けられないル・マンには限界も見える。その一方で、ビジョンとテクニックを持つ松井にも、一対一での強さや個人で打開する力に上達の余地がある。リーグアンで学べることは、まだまだあるはずだ。

 1年ほど前、松井はのんびりとした様子で「どうせなら暖かかったり、町に魅力があったりとか、そういうところのチームに行ってみたい。ヨーロッパでずっとやっていく生活も面白いかなと思ったりもします」と想像をめぐらせていた。ただし「フランス語をマスターするまではここで、と思ってるんですけど。早くマスターしたいです!」との注意書き付きで。
 奮闘と猛勉強の1年が、松井を待っている。

<了>