ナビスコ杯福岡戦

cafebakerst2006-05-15

昨日の福岡戦は選手がまったく動かない試合だったと酷評されてるようですね。ある人の表現を借りれば「なんか怖がってるように見えた」と・・・気持ちが入ってないと言ってしまえば、それだけですが、最近、技術は高いんだけど、なんか「闘争心」が感じられないという感想を持つ人は多いみたいですね。それを監督が無理な戦術を取っているからだという意見もあれば、フロントがきちんとした補強をしていないからだという意見もあります。どの意見が正しいかはっきり言って自分でもわからないです。

かつて部活サッカーと言われた頃の東京は技術もポテンシャルも一流クラブと比べてもそれほど高い訳ではなかったんだけど、「なにかやってやろう」というチャレンジ精神だけは一流だったと思います。それだからこそ6年前にサポーターになったんですけどね・・・

そんなときアニマルスピリットという言葉を思い出したので、引用してみます。


アニマル・スピリットと指示待ち族


ケインズという20世紀に活躍した大経済学者の名前を聞いた方は少なくないでしょう。彼の名著が『一般理論』と呼ばれるもので、資本主義経済理論のバイブルとされて来ました。この本の難しい理屈はさておいても、ケインズ先生の言っていることは単純明快です。


ずばり、資本主義経済を動かしている原動力は、そこに参加している人々の"アニマル・スピリット"にあるということです。"アニマル・スピリット"をあえて日本語で表現すると、「本能的な生気」といったところで、要はすざましいエネルギーを持った本源的な活力・行動力・瞬発力といったものです。
 "アニマル・スピリット"は何故、発揮されるのでしょうか。資本主義経済の前提にはダーウィンの言う「弱肉強食」(より正確に言えば「適者生存」)の原理が存在するからです。「座して死を待つ」という言葉がありますが、勝つ人間・組織は決して座ったまま敗北者の運命に身を委ねたりはしません。必ず立ち上がって闘います。それも本能的に立ち上がるのです。「いろいろ考えた結果、こういう理由が成り立つので私は闘います」といった悠長な話ではありません。気がついたら手が出てた、足が出てたという感覚です。


 ちょっと話はそれますが、この5月に中国・シンヨウの日本総領事館で起きた北朝鮮難民連行事件は日本政府関係者に、この"アニマル・スピリット"がいかに欠落しているのかを露呈させました。在外公館には治外法権があります。勝手に現地国政府の官憲が侵入して来ることは絶対に認められません。あの時、領事館の職員は、"アニマル・スピリット"を働かせて中国側官憲に体当たりのひとつでも食らわすべきでした。それが茫然自失、侵入して来た官憲の帽子を拾って亡命者が連行されるのを見送るだけでした。さらに情けないのは、日本領事館の職員達は、携帯電話を握り締めて、北京の大使館や東京の外務省から"指示"を待ち続けていたことでした。"アニマル・スピリット"が希薄な上に上司からの指示がないと何をしていいかわからない。これが「経済は一流だけど政治が二流」と言われて来た日本の政治の惨状です。

あなたの職場から「指示待ち族型」管理職を追い出せ

日本の政治がここまで二流化(三流化?)してしまうと「経済一流」も怪しくなります。実は私達の職場もかって充満していた"アニマル・スピリット"が薄れてしまい、上も下も「指示待ち族」であふれかえってはいないでしょうか。最近、企業研修の現場で気になるのがこの点です。研修では参加した皆さんにお腹にあるものを大いに出してもらいます。といっても愚痴や言い訳をしゃべってもらうわけではありません。自分の仕事、職場そして会社を前へ押し出して行く事業戦略、組織戦略につながって行く「知」を出してもらうものです。最近、目立つのは、この知の出し合いの為のグループ討議に入ってもポカンとしたまま発言の出来ない参加者が増えていることです。彼らの職場の肩書きは立派です。部長や本部長であったり役員であったりするのですが何も出てきません。要は"アニマル・スピリット"がないとういか、具体的な指示があって始めて動き出す人達なのです。何故、こういうタイプの人が出世できたのでしょうか。彼らには一つだけ人並み以上の能力がありました。それは指示が7出たら10やる。10出たら12やるという「120%対応型指示待ち族」であったわけです。彼らは上司に重宝がられ信頼されますが、所詮、指示がないと何も出来ない人達です。
 シンヨウ事件を見るまでもなく、"アニマル・スピリット"なき「指示待ち族」は、環境が大きく変化する時や、予想外の危機に直面した時、、無能力状態に陥ります。これは倒産して行く企業の経営者にも見られる光景です。ころばぬ先の杖、あなたの職場から「指示待ち族」型リーダーを追い出す時です。そのためには、先ずあなた自身が自らの指示で動き始められる人材に脱皮していくことです。



今の東京の選手達は確かに技術的な面でエリートではあると思います。でも東京ガス時代の第一世代が引退していくに伴い、なんとかして生き残ろうという闘争心が薄まってきたように感じます。悪い言い方をしてしまえば「シーズン後半から調子が出てくるから、上位いじめをしてればとりあえずいい」みたいな雰囲気があるのかもしれない。失われた「闘争心」をいかに取り戻すか、これこそ最大の課題なのかもしれませんね。